死は生きている

その死は、何を教えてくれる。

今年は小松左京が死んだ。レイ・ハラカミが死んだ。スティーブ・ジョブズが死んだ。柳宗理が死んだ。もっと、この人が亡くなっている、と言うことはできる。人によってだいぶ違う。僕がこの人達を挙げたのは、その死が、きっかけとして心に刻まれ、少し世界が違って見える体験を、伴っていたからだ。この人達との直接の親交はもちろん無い、だけど、作品を通してその人の世界に触れられる。著名人の訃報は、悲しみのその後に、この死によって、多くの人達に何を伝えようとしているのかと考える。死をきっかけとして、作品が再び、広く、生きた現実へ散らばり、それを手にした私達は、そこに「死を含んだ現実」を見出すことになる。

 

彼・彼女の親しい誰かが死ぬ。彼・彼女は悲しむ。その死の、悲しみの虚に包まれているとき、世界のすべてが、彼・彼女の目にはグレーに見える。駅前を行き交う人の群れも、泣きやまない赤ん坊も、少し前まで大好きだった音楽も、いつもの仕事のいつものメールも、その全てから一気に遠ざかって、人の営みから発する音が全て膜の外から聞こえて、自分という身体のさらにその内側に、小さく丸まって俯いている本物の自分が、本当の意識の在り処に思える。いや、自分の本当の意識などといった一体的な、掴みどころある統一感とも程遠い、虚という空気の中で重たい霧のように漂い、空間と自分はもはや分別できぬほど絡み合い離れることなどできないし、離れようとすることさえ、何かを偽り気をそらす体力がなくては出来ない。

彼・彼女にとって、その人の死は、社会生活の全てを塗り替えた。心の在り様を全て変えた。大切にしていた人がいなくなり、大切にしたい思い出が増え、それまで大切にしていたものが大切に感じなくなり、それまで大切じゃなかったものが大切になった。大切さの価値が転換した。

大切なものは、もしかしたら一切無くなってしまったように感じられたかもしれない。それでもなんとか、この虚ろな気持ちを飲み込んだり、忘れたふりをしたり、たまに一人で引っ張り出して思う存分浸ったりしながら、なんとか「生活」を繕っていた。そんな中、ある時、誰かの言葉や、音楽や、生き方が、心のなかの自分と、変わらず動き続ける世界との間を結びつける要素となって、出会う。それは実は、その目的で生み出されたわけでもなく、出会いに来てくれたわけでもなく、自ら「そのように見出した」のかもしれないけど、そんなの彼・彼女にとってはどちらでもいい。その時、ソレは、そういう風に見えた、ということが全てで、圧倒的に大事なことだ。

脱色された、悲観の景色から、「元に戻る」わけではない、その脱色された世界さえもまた、正しい現実の見え方だということ、世界はそのような見え方さえ内包しながら、毎日を刻んでいるのだということを知ること。悲しみは悲しみ、それを全く無視して通り過ぎるように見える世界もまた世界。対立のように見えるそれら現実は、実は全て連続した不断の関係にあって、そして彼・彼女は決して世界に無視などされていない。そのことを、出会った何かは教えてくれる。

あの死は、ただ単に悲しみを、そして時がだんだんと、普通の生活に戻れるまで癒していく、その過程のみを与えてくれたのか。おそらくそれだけではない。最終的に掴むものは彼・彼女によって一人一人全く違うだろうし、おそらく最終的に掴むものがあるという発想自体きっとナンセンスで、その人の中に層として折り畳まれ重なっていくのだろうけど、だけど、確かなのは、何も教えてくれない死なんて無いということだ。自分の層に織り込まれ、それが自分にとって大事な部分に、大事な世界の見方として、使われていく。

 

東日本大震災は1万5千人以上の犠牲を出した。もはやこれを語る時、「~人以上」というように、人の数さえぼんやりと抽象化され、悲惨さも悲しみの輪郭さえもイメージできない、単なる物語的な物言いになる。ここからは、死を受け取った彼・彼女らの数、その人達から見る世界の風景を読み取ることは、1ミリだってできない。それでも、その中の一人一人を見つめ、そこから繋がっていく人達の、眼から見える世界の色を想像する。信じられないほど今、この世界は色褪せている。

死を、見つめなさ過ぎたと思う。原発は今まさに問題が進行中で、我々に何かを教えているように感じやすいけれど、その前に、センセーショナルではない、まったく静まったあとの、単なる「跡形」になった大きな現実が、僕らを無言で見つめ続けているのだ。常に死を編み込んでいる現実と、「大切さ」が転倒した心の内は、すべて、私たちとひと続きの空間にあるのだと、認め直さなきゃいけない。

死から、虚から、悲しみから、色褪せた世界から、現実が、これらによって出来上がっているのだと、理解した上で、もう一度見直す。今まで映すことを怠っていた見方がある。今動いているもの、今見られるもの、今語られていること、今自分が生きていること。死は、きっかけとして生きていく。

 

だから、これでもまだ気付かないのかと、2011年は語りかける。まだ生かされているならば、そのぶん、たくさん教わらなきゃいけないんだ。「絆」は、「絆」として教え込まれるものではない。「死」の先にある結果として気付くものだ。

要は仕事。そして精神。

仕事のことを考えると、自分の魂を2,3段階下げるような実感がある。

仕事に集中するためには、高い波長を感じ取っていた自分の精神アンテナを、引きずり下ろして、低い波長の物質世界に無理矢理チューニングする必要がある。

すなわち、目の前に見えていることが世界の存在の全てであり、時計とカレンダーが世界を測る規則の全体として信奉し、これまで通りに物事すべてがリニアに進み続けるという、脆すぎる、掴み切れやしないのに「当たり前」として我が物顔で操った気になるような、そんな滑稽な人間社会に、手をつないで合わせてやらねばならない。

その価値世界に漬かったとき、聴いていた音楽に感動する自分も、白い紙に向かってインスピレーションを待ち受けている自分も、高い空を見上げて歓びが湧き上がるような自分も、すべては「時間の無駄」にカテゴライズされる。

それが仕事である。

それが「お金」である。

 

だからどうしろとは言わない。言えない。無理です。僕にはそんな方法論はない。

ただ、現在のところ、社会はそのようである、ということをハッキリさせておきたかった。

 

さて、休むのも仕事のうち、である私達物質人間は、こんな時間の無駄遣いをしている暇はないので、忙しい業務を効率的にこなす、立派な社会人として、早く寝ることを、今期の目標に掲げるとして、本日はすみませんがお先に失礼します。

幸せな人たち

仕事がつらい、つらいと言い合い、つらいと言い合うその合間に、下ネタを挟むような会話。

普段ラフに話せない人と上機嫌な勢いで話せた時の浮き立ち。

その人と話せている、ということに夢中で、話している内容は覚えていないような、輝いた時間。

その浮遊と交歓から離れ、冬の空気が肌と服の隙間に滑りこんできたとき、やっと一人になって、パンパンに痙攣したハートを、身体の所定位置に戻していくような、夜の時間。

愛する音楽と繋がって流れ始めるリニアな時間と、孤独から生まれた言葉の連なりに眼球を埋めていくことで、さっきまで沈んでいた別の歓びがまた、唸りを上げて、全身に慈悲深い吸着感を伴って、まとわりついてくる瞬間。

隣の、大声で笑いながら罵り合う集団に、過去の自分が居た空間を重ね、いとおしく儚く思う、身勝手な時間。

隅々まで知っている、過去も未来もすべてそこにあるような、我が家。

「知っている」というのは温かい。不安がないのは「知っている」から。

そこに戻ると、これほどまでに、自分はたくさんのものを身に纏っていたのかと、驚くくらい、次から次へと、脱げていく。

これほどの、見えない皮膚で、防御していたのか、防御するほど、見えない攻撃に晒されていたのか、ということを、知る。

家に帰るまで、自分がどれほど重い鎧に包まれているのか、知らない。

知らない、と、知っているの、狭間で、知覚したことのないような「知感運動」をするから、毎日が、まるで初めてのように過ごせるのでしょう。

明日はどのくらいの角度で、波間を行き来するのか。

知らない人。幸せな人たち。

行方、不明(やがて、いかようにもなる)

祝日出勤をした。

わけのわからない仕事に放り込まれて、わけのわからない立場の人達が次々にやってきて、わけのわからない議論と打ち合わせを始め、僕は、そのわけのわからない状況の中で、自分に与えられた役割を、とりあえず滞り無くすばやくこなすことで、せめてそこくらい風通しをよくしたかったけど、そもそも訳のわからない対象にとっては、どこの穴を開ければ風通しがよくなるのか、風通しの良さを求めているのかさえ、不明なので、僕のこの休日出勤は、果たして有益だったのか、どうにも、わけがわからない。

分からないけれど、こういう人達も居るんだ、という新鮮な(今まで嗅いだことのない饐えた臭いを発する)風が、自分の中にはびゅうびゅう吹いていた。

 

職場を出て、前から狙っていた本を買ったり、外で奥さんと会って蕎麦を食べたりして、慣れ親しんだ風で自分の中を換気すると、さっきの臭いの元を、固めてゴミ箱に放り込んだ気がして、本当の新鮮さとは、「新しい」ではなく、「ピュアさ」のことを言うのだと、改めて認識した。

わけがわからない、という困惑に加え、分かり合うことはできない、というような人達に会うと、心の溜め池にカビが生える。カビが珍しいのは新鮮かもしれないけど、カビはカビだった。わけがわかる範囲で行動することは、とても快適だ。ただ、簡単に「楽チン」に堕落するけれど。

 

「未知」にチャレンジすることと、「不明」な中でもがくことは、似ているようで大きく違うのだ。

チャレンジは、自分を快適に動作させることができる前提が無いと、チャレンジにすらならない、のだなあ。

 

逆に、動作させる環境が確実にあるならば、カビが生えても、腐っても、詰まっても、まあきっと、いかようにもなるんでしょう。

しかしチャレンジという言葉はなにやら嘘っぽい。一年生だけでいい。

一年生はピュアだ。膨大な未知をつぶしていくのが先決だ。

それがだんだん、「不明」が見えてくると、つらいんだよなあ。

ここはまだ何も無い

敢えて、何も無い。はてなブログ

ただ、文章を書くことと、デザインをカスタマイズすることには十分長けていて、信頼感も構築されていることが、感じられる。

新しく、指通りの良い、肌触り。

 

新しいサービスに書き込む、というのは、なぜこんなにワクワクするのだろう。創造力を刺激されるのだろう。結局その程度の創造力か、と、残念な気持ちになったりもする。

だけど、そういえば自分の創造力なんて、全部ネットで培ったものでもあった。創造力どころか、今では生活の大部分を(仕事も奥さんも!)インターネットの恩恵の上に成り立っていた。

 

人に見られたいという気持ち、見られているという緊張。

ブログ、SNS、どれも、人が密集し、人のやり方を真似していく過程で、文化圏が生まれてしまって、そこに新たに移り住もうという人種は、新大陸を謳歌するという解放感にはなく、その文化に馴染むという儀式と、覚悟と、礼儀的な笑顔を用意しなくてはならない。

 

だけど、ここにはまだ、多分、何も無い。

何かをするには、まだあまりにも、いろいろ足りない。

 

何かをここで構築していこう、というのは、それだけで刺激的だ。真っ白な部屋の、コンセプトを決める、その想像だけでも、部屋は満たされる。

さらに、個々のブログだけではなく、新しいサービス、という、その「地域」全体の文化さえ、まだ決まっていない。「空気が気持ちいい」と感じるだけで、そこが素晴らしい場所になる。

 

しかもそこが、たくさん構築されて絡まった関係性から距離を置いた、新しくて懐かしい場所ならなおさら!

 

ざわざわと、新しい場所での挨拶と、作法を、手探りで、それぞれの経験を持ち寄って、ひとりひとり公開していく、その様子を巡るだけでも心が踊る。

把握できる程度の人数だからだろうか。みんなでスタートラインに立ったからだろうか。あらゆるサービスが、最初はそうだっただろうか。

いや、楽しみなのは、各人がそれなりのネットでの経験を持ち寄って、いま再びブログに歩み寄ろうとしている、その意思なのかもしれない。

 

つぶやきは、結局つぶやきでしかない。繋がりは、結局繋がりでしかない。

ブログだって、ブログでしかないかもしれない。

でも、そこには歴史があって、思い出があって、体験があって、それを言葉に書き起こした時間がある。決して、なう ではない時間。

 

140文字を並べ、顔を並べ、リンクをシェアし、誰もがみんなフラットになったけど、本当の人間はやっぱりデコボコしていて、そのデコボコの摩擦が刺激になる。人の思い思考、深い気持ち、堆積した時間、身体で得た経験、フラットだけじゃ見えてこない層がそろそろ、要求されてくるんでしょう。

それは、何かを感じたい、何かを知りたい、という欲求。それは、繋がりたいという安心が達成されたからこその、上位欲求なの?

それとも、「つながりヒステリー」が冷めてきた末の、知見なの?

 

ああ、あとは、アマゾンでの商品紹介リンクと、写真投稿が、簡単にできるようになったら、

はてなダイアリーから本格的に移れる、かも、だ。

ダイアリーが、大人になって、ブログになっただろうか、ブログは、大人になっただろうか

暖かかった寝城から巣立ち、居場所を求めてふらふらし、ときどき、此処こそ自分が来るべき場所だったんだ、という思いに駆られることもあったけど、そこにもいつしか違和感を覚え、ふと何か懐かしい暖かさを身体の中で思い出し、少し新鮮な気持ちで、すこし大人びた目線で、元居た場所にまた戻ってくると、自分が本当にやりたかったこととか、自由になれる環境が、そこではちゃんと待っていた、そのことにすぐ気づけばいいのに、ずいぶん遠回りをしてきたなあ。